スズメを保護したモト冬樹さんのニュースについて思うこと
こんにちは。バルです。
今日は天気もよくないので、一日中家で過ごしています・・・
それはさておき、今日は面白いニュースを見つけたので、それについて書こうかなと思います。
そのニュースについての詳細はリンクを貼っておくので、そちらを参照にしてくださいm(__)m
- 鳥獣保護法とは?
環境省による説明が一番適切かと思うので、こちらのページを見ていただくのが一番かと思います。おおまかに見た感じでは、狩猟の取り締まり・害獣への適切な対処という側面が大きいように感じます。ただ、今回のニュースにおいて、何がこの鳥獣保護法に抵触するのかというと、引用した記事にも書いてあるように「生態系を崩す恐れがある」ということ。要は「人間が野生に干渉してはいけない、こういうのは専門家に任せなさい」ということなんですよね・・・
しかしながら、今回のケースのような「傷ついたスズメを保護する」場合に関して、許可さえとれば、法に抵触しなかったようにも思えます。鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律施行規則第5条によると、許可を受けなければならない捕獲等の目的において「愛玩のための飼養」が含まれていますからね・・・。もしくは、獣医などの専門家に相談するとか。このような法律って一般の人には浸透してないでしょうから、このような勝手な判断をしてしまったりするのは仕方ない気がしますが・・・
今回のようなケースで適切な判断をとれるようにするには、「まず、専門家に問い合わせてみるという癖をつけること」あるいは「実践的な学校教育の充実化」があげられるのかなと思います。学習指導要領の改定で、その中に道徳教育の充実化も含まれていたかと思いますが、そのあたりで「傷ついているスズメがいたらどうするか?」というトピックを入れてみるのもいい勉強になると思うんだけどなあ。
- 気持ちの問題
ぶっちゃけた話、このニュースで賛否の声があがるのって気持ちの問題だと思うんですよね。
目の前に傷ついたスズメがいる。憔悴した様子で今にも死にそうで、自分が救いに行けばスズメの命は助かるかもしれない。そのような場面に遭遇したら、スズメを助けに行くのも仕方ないと思うんですよね。それについてモト冬樹さんを責めることはできないと思います。ただ、必要な許可を取らずに法律違反していることが問題になっているわけで。僕が懸念しているのは、今回の件で否定的な報道をしたら「傷ついたものを助けたら叩かれるんだ」ととらえる人も出てくるかもしれないといった感じで、提言的道徳が捻じ曲げられてしまうのではないかということなんですよ。
- 野生への配慮
さて、ここまで長々と書いてきましたが、もう一つ書いておきたいことがあるんですよ。それは、上述した「野生への干渉」について。どうして「野生への配慮」が必要なんでしょうね?
今回の件では、野生への干渉も重要な要素かと思います。こんなこと書くと怒られそうだけど、仮に今回のスズメが助けられず死んでしまった場合を仮定すると、また違った視点が見えてくるはずです。スズメが死んでも自然全体で考えたら、その遺骸は、カラスが食べたり土の中の微生物に分解されることで別の生き物の糧となる。野生への干渉って、こういった営みに介入することなんですよね。これに人間が介入すべきでないと考えるか、人間もその自然の一部と考えるかでまた変わってくるのではないでしょうか?
再度気持ちの問題として考えると、「野生」というものは人間外の領域で、人間の道徳を持ち込むことができそうにないから、どうにも難しい。でも、だからこそ、人間の「原理」を持ち込む前に「自然の節理」を受け入れる必要があるんじゃないかと思うんです。
生きているものはいつか必ず死ぬ。
生きているものは必ず何かの命の上に成り立っている、とかね。
そういうことに敬意をもってはじめて自然との共生が現実的になるんだと思います。
クローンや遺伝子組み換えの問題って、それに外れてしまっているように見えるから問題なんだと思う。
まあ、そこまで崇高なことじゃなくても、自然への敬意・感謝があれば、それだけで少しは人生が有意義なものになるんじゃないかなあ
・・・いけない。話題それまくったし、柄でもないことを書いた
僕が今回得られた教訓をまとめると、
- 突飛な判断を下す前に、専門家に相談するなどして冷静な判断を心がけることが重要。
- 自分が正しいと思った行動をとることは言うまでもなく重要。だけど、自然や野生に対しては別の視座で考えるのが大切。
- 解決策の見えない問題へのブレイクスルーのヒントは自然の中に隠されているかもしれない。だからこそ、自然についてじっくりと考える機会を作ってみよう。
仮にも理系の人間だから、こういうニュースに対しては必要以上に力が入ってしまうな・・・・・今度はまた別ジャンルの記事でも書こうかな
では、また今度!
読書の喜びとは?「人生を狂わす名著50(著:三宅香帆)」
今日昨日と暖かな日が続きました。(明日からまた冷え込むようですが・・・)
このような陽気の中で一切の思考を廃して眠ることができれば、どんなに気持ちの良いことだろうかとさえ思えるくらいです。
というのも、最近は人間関係に関することで気が休まらず、なかなか寝付けない日が増えたからというのが大本の原因なのでしょうが・・・
もうすぐ新しい年度も始まる事ですし、せめて早寝早起きを実行できる程度には適度な睡眠を送れるようにしたいものです。
ニーチェだって、「夜は悪魔の時間だから、とにかく眠るのが利口だ」みたいなことを言ってたぐらいですしね。
・・・とは言ってもそれですんなり眠れるようなら苦労はしません。
それならば、せめて、楽しかった・感動したと思えるような今日の出来事をしたためておきたいと思います。
そんな僕が今日有意義だなって思ったことは、ある一冊の本に出合ったことです。
それは、「人生を狂わす名著50(著:三宅香帆) ライツ社」という本です。
僕自身、大学生になって読書は割と頻繁にするようになったのですが、仮にも理系の学生なものですから、読むジャンルが理工系の本(ブルーバックスなど)に偏ってしまうんですよね。
そうした本ももちろん素晴らしいです。各分野の専門家が一般の人にもわかりやすく読めるようにまとめられた、知識の結晶ともいえるような良書ばかりですから。
しかし、そうした本(教養書)から新しい知識をインプットすることに快感を覚えることってあまり無いと思うんですよね。
どちらかっていうと、友達や家族などの親しい人との会話にその知識を披露したりとか、自分の認識そのものが変革してしまうような新たな知見が得られることにこそ、読書による喜びが詰まっているのではないかと思うわけです。
ここで取り上げている「人生を狂わす名著50」で紹介している「名著」って、それこそ自分の認識そのものが変革してしまうようなパワーを持った本がそれに当たるんだと思います。
そう僕に納得させられるぐらい、著者の文章力・本に対する愛が凄まじいこと・・・
「これは読まなきゃ(使命感)」と感じさせる本の紹介、それを通して感じ取れる著者の本への愛・・・本当に読書が好きな方ってこんな風に本を読むんだなあとしみじみ感じさせられます。
読書からその知識を活かす方法、いわば実践的な読書について知りたいならば、「本を読む本(M.J.アドラー C.V.ドレーン 著) 講談社学術文庫」が最も分かりやすいと思いますが、そこから読書の喜びとは何かってことを感じとるのって難しいのではないかと思います。(本を読む本もお勧めできる本ですが)
また、様々な人に向けた本を紹介することを前提にしているためか、多彩なジャンルの本が載っています。(理系向けの本は残念ながら載っていないですが・・・)
いずれも、心を大きく動かすような、それこそ「人生を(いい意味で)狂わせる」本ばかり。選書と書評のセンスも素晴らしいです。流石、京大院生の書店スタッフだなあと思わず唸ってしまいます。
まとめると、
- 感動する本に出合いたい
- どんな本がよいのかわからない
- 面白い本の読み方が知りたい
これに当てはまる人にとてもおススメできる本だと思います。
この本を見かけたら、「まえがきにかえて」の部分だけでも読んでみてください。
それだけでも、読書の面白さがガツンと伝わってくると思います。
僕も、全力で推薦できるような本を自分の目で見つけることと、この本に載せられていた本をひとまず全部目を通しておくようにしたいなあ。
とりあえず、程よく眠たくなってきたのでひと眠りしよう。
酒で酔う夜もいいけど、良い文章で心が幸せになる夜も素敵なものです。
では、気が向いたらまた明日!
- 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/10/09
- メディア: 文庫
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